平田弘史の時代劇画
これらの作品を、けっして、残酷なだけ、
などと思わないでください。
かならず現物のマンガ本で読み、
秘められた真実を読みとってください。
「黙って静かにじっとみろ。」
むかし、ヤクザ映画についていわれた横尾忠則さんだかの言葉、
これを噛みしめながら、
ゴクリとなにごとかを読みくだいてほしいのです。
ツイツイ漢字がおおくなりましたが。
平田弘史作品の復刻
なんとまあ、復刻がでていた。
『平田弘史劇画創生期傑作選』全5巻
平田弘史ファンクラブ掲示板・武士(もののふ)広場
平田劇画の復刻版については、上記のラピュータのホームページをご覧ください。
他の記事も何ページもあります。これを見るだけでも、ひさしぶりと感じてしまう。
やはり捨てがたい真情がある。
作品リストもあります。大変な労作。
そして、ついに平田弘史公認のファンクラブがスタート ! ! の記事もあり。
なんとケイジバンも。これがなんだかくるおしい、いとしい。
ついカキコンデシマッタ。
「強奪」メモ
さて、平田弘史「強奪」のラストシーン。
(『平田弘史傑作集』全6巻、日本文芸社1995、1996、第2巻p.314)

ラスト近くのコマ。右下のナレーションを、書いてみよう。
「一切 無抵抗のままに
槍刃(ソウジン)弾丸を浴びて
果てたりしと云う ――
(以下小文字で)
それは…我が望み通さん為
数十の人命を手にかけた
詫びの姿勢かもしれなかった
………」
ずたずたに斬られ、撃たれ、あおむけにのび転がり、頭からおびただしく血をながして男が死んでいる。手前にある頭のわきに、縦書きのナレーション。妙にいい。あれほど何もかも奪いつくした男が、ただただ死んでいった。
『無法松の一生』のラスト、死んでいく松五郎について稲垣浩監督がたしか『日本映画の若き日々』にかいていた表現、イモムシノヨウニ、とは違うけれど、ずたずた・ごろんと死んでしまった男がもの悲しいのである。
このあとに、ふたコマほどあり、それもまたよい。なんともよい。その男の子供を領主の使いが迎えにくる。唯一残った血筋と半信半疑ながら……。
外にいた年とったおっかさんが、呼びかけるよ、家の中にいる、その孫たちの母親に。こんなにひろい家の、大百姓でも、物語にあるように、ひどい貧乏だったのか、そのへんが定かでないが、とにかく。
もう、円熟というのか、心憎いばかりの演出である。いやみでもなんでもない。
やはり印刷された本でみてほしい。絵が、グリューネヴァルト(はりつけのキリスト像で有名な昔の画家)みたいなのである。なんか思い出させる。むごたらしいうつくしさ。グリューネヴァルトのオリジナルは、見たことないですけどね。いや、なかなかいいわけですよ。とにかく。
うえの「強奪」とは、まったくべつの作品ですが、平田弘史1961『復讐・つんではくずし』(大阪日の丸文庫、魔像別冊・平田弘史特集)は、たいへんに度肝をぬかれる作品でした。方言なのでしょうか、おっかねーのなんの、といいたかった。
小生には、小学校からの友達で、かつて、もうひとりの共通の友人をくわえると、貸本屋ぐるいの三馬鹿トリオであること、とうぜん小学校の漢字のかきとりだけは成績がよかったこと、など、らちもなく自認しているおとこがいます。
これが、『大和川の侍』が、平田弘史の最高傑作だというのですが、肝心のその作品をよんでいないのと、「つんではくずし」の印象があまりにも強烈で、小生にとっては、もういけません。
そいつは、「『大和川の侍』は、泣けてな〜〜」というのだが…。
ちなみに、この男のいままで見た映画でいちばんよかったのは、ヘンリーフォンダの『怒りの葡萄』とか。あたしも、あれはいいとおもう。巻頭、あるいてくるヘンリーフォンダは、高倉健かとおもった。スリリングだった。劇中のアクションシーンもよかった。共産党らいさんの映画なのだが。時代というのかも。
とにかく、小学校3年ごろに初めて貸し本屋さんが小生のすむ町にでき、いまでも書店としてやってますけど、さすがに貸し本はもうやってません。
ふたたびとにかく、いま48歳の男性ですが、もう20年ぐらい前に同級生と話して、以下にのべる小生の感想と似た、ためいきのような言葉が、どこかひっそりと出たように思います。
それは、「こんな残酷なマンガ、おれが読んじゃっていいんだろうか、この純真無垢なおれが、まともな小心者のおれがっ!!」というほどの衝撃。どこまでも迫真的であり、とどまるところを知らない。それまで見たどんなマンガより、いやマンガだけでなく、どんな表現よりも鮮烈だった。小学生ですからあたりまえですけど。
それでも、また借りて読んでしまうのです。それこそ、つんではくずし、そのもの。
平田弘史のマンガ『つんではくずし』。こう書いただけで、もういけません。ただならぬなにか、むなさわぎがするというか・・・。
表紙をよくみると「復讐・つんではくずし」とある。下克上のものがたり。戦国時代。いっときますけど、いまどきのリベンジどころじゃありません。K−1も好きですけど。
武士道残酷物語を時代小説でかいたのが、南條範夫だったという。そちらは、大衆文学全集などで読んだとも思うけれど、どうも印象がない。映画の武士道残酷物語は、みていません。仲代達也主演『切腹』はみました。あの、石浜朗だかがタケミツを自分のはらにつきたてる切腹のシーンは、気持ちわるくなるほどすごかったけれど、映画の限界もありますしね。
平田劇画は、強烈だった。まさにかつてこれほど鮮烈なマンガがあっただろうか。もちろん、いまだに見たことない。
「つんではくずしの、記憶のなかの描線」
描線ではないのかもしれない。あとから見たのである。図版として、評論にあったものだとおもう。
主人公というのか、つんではくずしの拷問をうけ、歯はなく、言葉も定かでないその男が、奇跡的にカムバックし、にっくき相手を引き出しての城内でのシーン。
ふしゅるるる〜っとでもいうような効果音とともに、吹きだしにかかれるセリフ。
これがたしか、とぎれとぎれの言葉、文字のあいだが、ことごとく波線なのである。
ゆれうごく、たよりなき、さだかならぬ、ふきだすがごとき、のどから、いやもっとおくからただよってくるような、つぶやきというのか、うめきというのか、空気の流出、息たえだえの復活。
なんでこんな物語を書いてしまったのだろう。
セリフが、ひたすら波線でゆれている。怒りであろうか、ののしりであろうか、安堵とともに吐き出されるためいきだろうか。
ここまでの描写を、なぜしなければならなかったのだろう。
おそろしいものを見た、それと同時に、なぜ、と思ってしまう。
下克上のなんたるかをしらない、わが身をふりかえり、ただただうちふるえる。戦国とは、かくや。
ほかの作品での、すざまじいシーンが、ちらほら頭をよぎる。その見かけのものすごさもさることながら、深さを感じてしまうのである。
とてつもなく深い、なにか救いようのない、理解の及ばないなにものか、知りえないもの。
これがおそろしい。
真に感動させるものが、この深みに関係しているような気がする。
あのころのマンガについて
昭和30年代の劇画、その三大作品が、かつて漫画主義という評論誌であげられていた。たしか、水木しげる『河童の三平』、白土三平『忍者武芸帖』、佐藤まさあき『黒いきずあとの男』だったと記憶している。漫画主義ではなく、梶井純さんのほかの単行本の中でだったかもしれない。
しかしながら、突出していることにおいて、平田弘史の作品は、おそろしいばかりだ。
貸本劇画でよかったものとして、あくまで個人的に、水木しげるの『鬼太郎夜話』と平田弘史の『つんではくずし』をあげたい。印象的というか、こんな迫真的なのないのである。わすれえぬ衝撃。そして、これはけっして、作品がどぎついからだけではない。その生命が、こちらに伝わってくるということだ。たいへんな作品であり、真剣にとりあげてしかるべき作品である。すくなくとも、書き記しておかなければ、どうしようもない。
黒沢明監督『隠し砦の三悪人』で、金(きん)をマキの一本ずつに隠しこんで馬車だかで運ぶとき、そばにへばりついて押していた女のこめかみあたりに矢が飛んできてかすり、血がタラーっとでて、それが恐ろしくて、いっしょにいった兄貴に泣いてせがんで、「かえろうよー」といったとか。これは、小生のもっとずっと小さいころ。あれとも、こわさではどこか通じてはいるかもしれないが、何かちがう。
余談ながら、この映画は、あとから並木座でみたら、加藤武の落武者がすごかった。トップシーンにちかく、あるく落武者に、騎馬上から槍が、それこそ平田劇画のごとく、「えあッ」と。うんぐーッと、血袋をかみきった加藤武がふりかえる大アップ。音が、ガーンッ。あのワンシーンだけで、加藤さん、もう出ない。なんとまあ、国ざかいを越えたら、本当にたたっ殺されそうな映画だった。
平田劇画は、たしかに、アクションが、立ちまわり、血しぶきがものすごいのですが、その迫力の本質は、いったいどこからくるのか。また、何によって、わが魂は、ゆさぶられているのか。怖いもの見たさ、だけのはずがない。胸はたかなり、なにかしら真実、としか言いようのないものに触れた、と実感していたのではなかったか、と振り返るばかり。
あんなに盛り上がってよむものは、めったにない。没入するのことよ。巻頭というか、とっぱじめからひきこまれる。たとえば、うえの「強奪」は、最初からいいのである。超ロングの構図で何かしらドッタンバッタンおっぱじまってるのが分かる構図。こういう導入のかける作家が何人いるだろう。ナレーションがナレーションにきこえてくる。時代劇をかいて、なかなかよかったケン月影は、いまどこで描いているのか。
石子順造さんの評論で、平田弘史のいわゆる武士道ものとは、「ほんとうは武士の意地などでなく、生活者としての、その押さえがたい、ほとばしるような、真実の叫びであり、つぶやきというのか、うめきではなかったのか」。たしかそんな言葉があったと記憶しています。権藤晋さんの評論ではどういっていたのか。とにかく平田劇画とは、渡哲也の『大幹部・無頼』という映画だかのセリフ、「おれたち親子は、おっそろしくみじめだった」とでもいったところからの、噴きだす溶岩のごとく、切れば、こっちがかえり血をあびる作品。バッと。
漫画主義の評論がいちばんおもしろかったようです。ほかの平田弘史論は読んでないので、いいきれませんけど。すくなくも、このマンガと格闘した論は、あまりないと思います。また、だれがこのマンガを評論できるでしょうか。こちとら、その力もないのに、なんだか知らないけど、とにかく噛み締めたい。あじわい、しゃぶり、なにか、うるものがあるのです。かちとりたいのです。このマンガ群から。
すこしまえに雑誌にでていた「怪力の母」(1993〜1996講談社『ミスターマガジン』連載、1995、1996『異色列伝 怪力の母』全3巻、講談社刊)でしたか、など…。金銭的に余裕ができたら、やはり、ひとつでも単行本を買っていきたい。そういう作家がここにいる。ひょっとして、空前絶後のマンガ世界、いや時代劇世界かもしれない。とにかく、とんでもないものでありました。
劇画時代・平田弘史の世界 牽牛・塚崎健吾さんの解説: よまないとソン
現代マンガ図書館 『つんではくずし』、あるよ、と内記館長が昔いってた
越智敏夫氏の平田弘史名作解説 「おのれらに告ぐ」、「怪力の母」
稀Jr.氏の書評 「おのれらに告ぐ」
『弓道士魂』のこと あるひとのHP: 平田画の表紙写真つき
薩摩義士伝ほか平田弘史のページ 琉球のひとだろうか
※平田ボンへのオンライン・アプローチ
●平田弘史1996『平田弘史傑作集』全6巻、日本文芸社
比較的新作、日本文芸社にまだ在庫あり
●平田弘史1999『新 首代引受人』第1巻、講談社KCデラックス、1200円
平田弘史で検索すると、表紙の写真いりでデータがでてくる。
●平田弘史1999『ワイド版・首代引受人』リイド社、四六判、392P.、619円、ISBN4-8458-1950-3
説明とイラストのかさね。時代物にふさわしいというか、なんと言うか。
★注文ページは、ここから。 上は、すこし前のページらしい。
すこし前の記述かもしれないが、講談社には、
●平田弘史1995、1996『異色列伝 怪力の母』全3巻が在庫アルという越智氏の話もあり。注文してみないとわからない。
越智氏は、それと別に
●平田弘史1993『異色列伝 無名の人々』として、中に怪力の母の一篇を収めた一巻があり、内容からそれを薦めている。現物未確認。
この母の「お相撲とりましょ」ってセリフに泣いてしまったとか。
●平田弘史1994『名刀流転・落城の譜』ちくま文庫、も、比較的新しい。1999.7.17